2017年5月21日日曜日

【 宮本武蔵に導かれて 】に~ 金峰山を越えて 熊本城から阿蘇へ ~

【 宮本武蔵に導かれて 】に~ 金峰山を越えて 熊本城から阿蘇へ ~
 57歳のときに細川忠利に客分として招かれ、ここ金峰山の霊巌洞で『五輪書』を書いた。その武蔵が熊本の千葉城(熊本城のルーツの城の跡の地名)で亡くなった日が1645年の5月19日、2日前だったのだ。今の僕と同じ62歳だと言う。『熊本城に行くのだったら俺のところに挨拶に来い!』とでも思っているのかもしれない。何気なく通った僕の好きな熊本の観光ルートで、時間があったのでキャラバン隊を案内して立ち寄りました。武蔵は熊本市内の武蔵塚に眠っています。
その後にできた城が隈本城で、それをさらに大きく強固にしてできたのが今の熊本城です。加藤清正が“熊”の方が強そうだと言うことでこの字を当でたらしい。石垣へのこだわりといい、土木建築、治水など[加藤清正]はすごい男です。







 今日は熊本地震で大きな被害のあった西原村の仮設住宅にお邪魔しました。小森仮設団地は約300世帯900人の方が不自由な生活を続けられています。今日は西原中学校の運動会でもありました。日曜日でいろんな用事のあるそんな中、“みんなの家(集会所)”にたくさん集まってくださいました。子供達は出たり入ったりでしたが、まっすぐな目で楽しんでくれたと思います。千葉城町にあるNHK熊本放送局を建てたという数々の表彰を受けられた宮大工さんも、立派な家が全壊。今は更地になって、ご夫婦で仮設暮らしです。同じく全壊しテント暮らしの古庄さんからは、西原村名物の“から芋”をいっぱいいただきました。ここにはいろんな方が、一年ちょっと前までは想像もしなかった『な〜んも ナカです❗️体 いっちょです! しょんなかですたい❗️』と言いながらも頑張って暮らしてらっしゃいます。おじいちゃんも最後は手拍子をして笑ってくれました。束の間、この時、一期一会のひと時を過ごすことができました。お世話してくれた、小島さん、睦美さんありがとうございました。帰りに仮設のお宅に招かれてお母さんの手作りののっぺ汁をごちそうになりました。西原村の皆さんこれからもどうぞお元気で!またお会いしましょう。