2015年6月7日日曜日

お寺で自分を 見つめる‥

【 お寺で自分を 見つめる‥ 】〜 日本人に一番必要な場所 〜
拝むのは神では無い。もちろん信心深い方は、神やその教えを信じ、教えを乞い、ヒントをもらい、自分の生きる道を正し、見つけることが大切ですし素晴らしいことです。しかし人の命よりも偉い神はいないはずです。神のために、宗教の名のもとに人を傷つけ、命を奪い、悲しく辛い思いをさせるなどという事はあってはなりません。
お寺は自分と向き合う場所だと言う気がします。それは教会でも、神社でも、海や山や樹齢何百年の木や美術品でもいいと思います。自分がまっさらな正直な気持ちになって、謙虚にそれを受け入れる。畏敬の念を感じられるものの前で、自分をさらけ出し、見つめ直すことができれば…。
歳を重ねていくといろんな現実を体験し、たくさんの人を知り、人生と言うものが少しずつ見えてくるはずで、経験を生かし、多くのものを受け入れ、相手を尊重し、時に許し、自制し、諭し、道筋を教え、心を広く穏やかに、優しく、泰然自若と少しずつ仏に近づいていくようになるかと思えば、実は我は強くなり、気は短くなり、周りが気になり嫉妬深く、妬み、恨み、猜疑心は強まり、独占欲が強くなる。まぁなんと正反対のものばかりを背負い込むのだろうか…
年齢を超え、仕事を越え、立場を超えて一緒に手を合わせることができる空間というものは素晴らしいと思います。小さい頃の体験や教えは重要だと思います。自分がどうつながって、今ここに生きているかということを再確認することができます。こういう場所が大切に残され、広がっていくことを願います。特に自分の世界に閉じこもり、人の痛みや死、心の中を想像できない、人の迷惑がわからない、自分の欲望や不安、苛立ちをそのまま外にぶつけ、自分を客観的に見て、冷静にコントロールできない人が増えている。そのよう事件を見ているとつくづくそれを強く感じます。
今日は仏様の前で、そして特にたくさん来てくれた子供たちの姿を見て、いろんなことを思い出し振り返ることができた貴重な時間をいただきました。[長洲町の三寶寺]の皆様、お世話になった皆様、お越し頂いた皆様、どうもありがとうございました。
▽今回の写真は、当日、僕のコンサートを聴きに来てくれた玉名高校の同級生、松本容太郎くんが撮ってくれたものを快く提供して頂いたものです。容太郎くんは高校時代うらやましいほどギターが上手くて、その後も仲間とバンドを組んで最近まで演奏を続けていました。




また、松ちゃんのパーカッションが入ると途端にお客さんのノリが最高潮に達し、後ろで音響を調整してくださったご住職の長尾さんも、思わず体を動かしながらのミキシングがとても面白かったです。