2011年3月27日日曜日

熊本・荒尾「東北関東大震災救援募金コンサート<有明音楽祭>」  -3/27-

会場 荒尾総合文化センター

 
 
 
 
 
 
Bass:児玉康成

Drums:西川純一


Per:松藤一英



Gt:三好ひろあき



key:口垣内八洲彦


 
 
 

2011年3月25日金曜日

福岡「ドリームボート」 -3/25-

key:口垣内八洲彦 Gt:三好ひろあき Per:松藤一英 
 Bass:児玉康成 Drums:西川純一




2011年3月19日土曜日

3月17日

被災地には物資が絶対的に足りない。
弱い立場の人、やっと助かったのに避難所で亡くなる人。
この寒さに灯油がない。薬がない。
最初は命が助かっただけで・・・と思いながら
1週間もすると、逆にこの先の不安が頭をもたげてくる。
今のみんなで助け合う冷静さが続いてくれることを願う。
一方で、何の被災もしていないのに都心では原発や停電の心配も重なり、買いだめが増えている。
滋賀でさえ単一電池とカセットコンロがまったくなくなっている。
自分の家だけはとか、これを困っている知人に送りたいなどわからないでもないがこれが延いては被災者の人たちの復興の足をひっぱることになる。
どうしてもっと冷静に、静かに、自分だけの欲をおさえて周りのことを考えられないかなあ。
情報に振り回されない、周りに左右されない・・・。ドーンと肝っ玉を座らせよう。

3月16日

原発は深刻だ。
政府はパニックを恐れてか、慎重に冷静にあまり大げさに伝えない。
こういう問題はむずかしい。
最悪のシナリオを予測しながらも、不安を与えないように伝えなければならない。
受け止める方も疑い深い。
神経質、用心深い人、いやこれが冷静な判断かもしれないが、いざと言う時のことを考えて
自らの避難。
楽観的な国を信頼している?人は、大丈夫だと考える。
外国の方がシビアに執えている。このまま終息に向かえばいいが・・・。
地震、津波に加えて大変だ。
復興に大きなマイナスだ。
何人の人たちが、必死に命がけで立ち向かっている。
こんな時に不謹慎だが、マイケル・サンデルの「正義」の話を考えてしまう。

3月15日

我々は、マスコミ特にこういう時は大部分がテレビから流れる情報で現状を把握し理解、想像するしかない。
初期の被害状況、死傷者などで、どの程度のものかそれぞれが判断する。
神戸の朝はそれほど深刻さが伝わって来なかった。
今回はあまりに広範囲で、日に日に4日目でさえまだどれくらいの被害か想像を超えたままだ。
テレビで伝えきれないことと、追うごとにその悲しい現実が明らかになって来て、もうテレビを正視できない。
ひとつひとつの事実が、涙なしでは見られない。
まだ全局がずっと被災の特番だ。
ワイドショーも参加して新たな映像、悲しみが洪水のように溢れてくる。
そんな中、玄海竜二さんのレコーディングで朝方の4時までスタジオにいた・・

3月14日 こんな時だから・・・

震災から3日間毎日ライブだった。
こんな時に止めようかという声もあった。
こんな時でもやりましょう。
こんな時だからやりましょう。という意見もある。
待ちに待った九州新幹線のイベントも、これっぽっちのニュースさえ消えてしまった。
日本全体に被災した人の、まだ1万人以上もの安否がわからない人たちのことを思い、心を痛め喪に服しているようだ。
身内や知人に被害を受けた人が直接いなくても、自分のことのように心配し、悲しみ、我々だけが楽しむことを控えるだけじゃなく、普通に生活していることさえ申し訳なく、一緒に辛さを共有している。とてもすばらしい優しい思いやりだと思う。とても楽しむ気にあんれないのは同感だ。
ただ、それも度が過ぎたり、他人に押し付けたりすると、少し心配にもなってくる。
「欲しがりません勝つまでは・・・」
皆が同じ方向を向いた時のことを少し思い出す・・・。

2011年3月18日金曜日

3月13日

地震の日、すぐに安否や様子を確かめた友人、知人にはまったく連絡が取れない。
九州の人間は東北に知人が少ないが、僕は大学の友人や、昨年夏、東北をライブツアーで回ったこともあり、かなり世話になった人も多い。
いわき市広野町の友人にはまったく所在がつかめない。
しかしながら、自分の安心の為の「僕も心配しているよ」をわかって欲しいような連絡は取るまい。
本当に大事な、緊急な連絡が取れなくなるから。
何不自由なく安全なところにいる人間の心配や不安など暫くはガマンしよう。
心の中で祈って、静かに見守ることも大切な時もある。
どうぞひとりでも多くの人が無事でいて欲しい。

3月12日

その時々の感情は、あまりにも生々しく、
悲しすぎる現実を見てしまった虚脱感で何も表現できない。
誰かに自分の気持ちを伝えようなどというエネルギーさえ涌いて来ない。
悲しみと無力感。
ただ普通に黙黙と真面目に、懸命に生活している人のところに
ある日突然災難が襲ってくる理不尽。
神も仏もあるものかとさえ思う。
夫婦の、親子の、家族の生と死を冷酷に分ける。
ただ運命として受け入れることなどできない。
2日目、少しずつ現実が突き付けられてくる。
しかしその全容など想像もつかない・・・。



平成23年3月11日のこと

平成23年3月11日
大阪でライブだった。
15時台、あちこちから「今どこにいる?」「東北で地震があったよ」「大丈夫?」
という電話が何本も入った。
ライブハウスに向かう電車の中で実感がない。
でもやたらとケータイで話す人が多く、落ち着きがない大阪駅。
ライブにはお客様が少ない。
終わって帰り道、街に人がやけに少ない。
夜中に家に帰り、テレビをつけて初めて事の大きさに愕然とした。
とうとう大地震が日本を襲ったのだ。
予測されていたとはいえ、あまりにも強大で予想をはるかに超えた凄まじいものだった。
しかしそれでさえ被害の大きさを本当に目の当たりにするほんの序章にすぎなかったのだ。
この日から1週間、僕は悪夢を見続けている。